My perfect blue

心臓にナイフを刺して毒を抜こう

ADHDとASDとLDとHSP気質を薄く併せ持ってるから鬱がこじれてる説

 私は何故かTwitter等のSNSでメンタルヘルス関連の人達と悩みや苦しみを共感できたことがほとんどなかった。論点も見ている物も感じ方も、どこがどうとは分からないけれども、いつもどこかずれている。彼らと自分は完全に別の世界の人間なのではないかというくらい、むしろ孤独感が増すばかりだったので、メンタルヘルス同士が関わるとろくなことにならないなと思っていたんだけど、その理由の一つがなんとなく分かったかもしれない。


 私の鬱がこじれているのは、私が発達障害のグレーゾーンとHSPを薄く併せ持っているから(かもしれない)。


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(画像出典 https://en-c.jp/column/asd/


 上はよく見る発達障害の表し方で、自分にはADHDの気があるなというのは前から自覚していたけど、実はLDとASDもあるんじゃないか? と思い始めた。

 恥ずかしながら、今までLDは知的障害に分類されるものだと勘違いしていたから自分には当てはまらないと、特に深く調べなかった。でも本当はLDに知的障害はない。


LDの定義

学習障害とは、基本的には全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する又は推論する能力のうち特定のものの習得と使用に著しい困難を示す様々な状態を示すものである。学習障害は、その原因として、中枢神経系に何らかの機能障害があると推定されるが、視覚障害、聴覚障害、知的障害、情緒障害などの障害や、環境的な要因が直接的な原因となるものではない。

出典:「学習障害児に対する指導について(報告)」学習障害及びこれに類似する学習上の困難を有する児童生徒の指導方法に関する調査研究協力者会議 (1999)


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(出典 https://snabi.jp/article/56


 LDの可能性を疑っているのは、「ワーキングメモリが低い」「算数障害」にかなり当てはまるから。

 私は数学が大の苦手で、学年最下位を取ったこともある。文理選択の時期には、三者面談で担任教師に「あなたが理系を選択したら大変なことになる」というニュアンスの警告までされた。

 まず小学生の時から、繰り上がりの計算や暗算がものすごく苦手だった。高学年になってもこっそり指を使って計算していた。特に二桁の計算になると指も使えないので、いまだに料理の時とかすぐに分量が計算できなくて困る。これは短期記憶能力(ワーキングメモリ)の低さが関係しているらしい。「暗算中に覚えておくべき数を忘れてしまう」という現象がまさにそれだ。

 そういえば、九九も泣きながら覚えたな。


 それと、LDの人には空間認知(視覚認知)の問題が見られることも多いらしい。

 体育の授業で集団行動をさせられた時も、順番が覚えられず、一人だけ違うところにいたり、違う方向を向いていたり、本当に苦手で辛かったんだけど、それも空間認知能力の低さが関わっていたのだろうか? 一応周りの認識では「真面目な生徒」だったから、こんな簡単なことで失敗するのはおかしいと思われる……という変なプレッシャーも嫌だったし、後からメモをとってもメモが間違っていたり、メモも覚えられなくて、本当に嫌だったなあ。なんでみんなそんな何もメモしなくても普通に覚えられるのか心底不思議だった。


 ちなみに、さっき久しぶりに図形の問題を2問解いてみたら、案の定どちらも不正解だった。

「左の図形と右の図形が同じなのはどれ?」という問題なんだけど、そもそも問題文の意味を取り違えていて(早合点)、ここでまさかADHDのケアレスミスが出るとはね、と笑いたくなった。

 その後すぐ持ち前の短期記憶の低さでアッサリ解答を忘れて、再度チャレンジするも、今度は自信あるぞと解答を見たら結局どちらも不正解だった。バカ過ぎる。


 本題に戻る。


 それからさらにASD気質を持つ可能性を考えたのは、「こだわりの強さ」「空気が読めない」にそこそこ当てはまるから。

 幼い頃に漢字ドリルの字を完璧に自分の納得がいくまでキレイに書こうとして、上手く書けずに泣きながら描いていたり、ランドセルの中は必ず自分ルールで決めた順番どおりに入ってないといけなかったりはあったけれど、日常生活に支障が出るほどではないので、「まあ他のASDの人ほどでもないレベルかな」と楽観視していた。

 だが、ASDの「空気が読めない」「人の気持ちがわからない」という項目を見たときには正直ちょっと不穏な気分だった。私は学生時代に「空気読めないよね」と言われいじめられかけたことがある。それでも愛嬌と人畜無害オーラを武器にして、何とかギリギリいじめられずに「天然ボケな人」のポジションを獲得していたのだ。だから「空気読めない」はなんとなく頭の隅にはあったんだけど、私はそれとは真逆ともいえる敏感な気質も持っている気がして、自分の中では納得がいかなくて曖昧なままだった。

 人が怒られていたら自分も怒られているような気分になるし、映画やドラマ、漫画などに深く感情移入して大泣きするだけでなく、日常生活でも涙もろくてすぐに涙ぐむ。暗いニュースを見ると自分には関係なくても気分が沈むし、誰かがイライラしているとその影響を受けて息苦しくなり「死にたい」「辛い」と思う。


 そこで「待てよ? こういうのどっかで聞いたことあるな?」と思って思い出したのが、HSPだ。

 面白いくらい当てはまるので、厳しめに採点しても毎回HSPのテストではハイスコアが出る。(ただし、ビッグファイブでいう内向性や神経症的傾向の性格特性が出ているだけ、もしくは抑うつ症状の一部から来るものと考える事もできるが……)


「ASDとHSPは真逆の性質なので併発しない」という意見はあるみたいだけど、私は併発すると思う。というか実際、まれなケースかもしれないが、私は残念ながら併発している気がする。だからこそ矛盾したアイデンティティに悩まされるのだと思う。


 そもそも、「空気が読めない」「人の気持ちがわからない」という表現の仕方に私は少し違和感を覚えている。

 確かに相手が求めていることと自分が求めていることが微妙にずれているので、一般向けに選択肢を調節する必要があるだけで、「空気が読めない」は厳密には正しくない(当事者からすると)。

 まあ、それが周りからしてみれば「空気読めない」ってことなんだろうし、そんな事情関係ねーよって話だろうなあ。


 つまり、私は発達障害におけるそれぞれの弱点を、相反するような性質でカバーし合っているせいで、矛盾したアイデンティティを抱えている。行動の結果に一貫性がないせいで、自分も相手も困る事が多い。

 例えば、融通はきかない(ASD)が、一度指摘されると他の人よりも気が回せる(HSP)し、色んな側面に気づける(ADHD)事もあるので、気が利く人だと思われたり、逆に気が利かない人だと思われたりする。この場合、全く関係の無い方向にADHDの傾向が暴走すると、残念な結果に終わる。

 折り紙やラッピングなどが苦手(LD)だが、運良く教えるのが上手い人から教わって一度覚えられれば、そこそこのこだわりの強さでカバー(ASD)できるので、手先が器用な人だと思われたり、逆に簡単なこともできない奴だと思われたりする。

 相手の発言を文字通りに受け取る(ASD)事もまれにあるが、繊細さ(HSP)や内向性、あらゆる思いつき(ADHD)でカバーし、ユーモアやお世辞、皮肉や比喩を人並み・あるいは人並み以上に深く味わい理解できることもある。

 ただし仕事の指示などでは、聞き逃したり忘れたり(ADHD)、選択ミスによって相手を困らせるが、困らせている事や相手の負の感情は敏感に察知できる(HSP)ので、何とかしなければと焦って衝動的に行動(ADHD)し、結果的に失敗する。さらに相手がどのような感情を持っているか敏感に感じてしまう(HSP)ため、失敗を引きずってうつ状態になってしまったり、自分を責めたりする。


 なかでも算数、数学などの理数系は、おそらく発達障害の全ての気質に共通する弱点なのでひどい状況だ。

 私は愚かにも公務員試験を受けようと勉強していた時期があり、その時も「数的処理」の科目でパニックになった。今になって考えれば自分には最も向かない職業の一つだと思う。挫折するべくして挫折した。

 中学時代は数学教師に個人的に質問しに行くなど努力はしたのだが、教えてもらってもわからない(LD)ので、時間を割いてこんなに一生懸命私のために教えてくれてるのに、全然理解できないのが申し訳なくて辛くなってきて(HSP)、分かったふりをして質問に行くのをやめてしまった。


 こうして今までの行動を振り返ってみると、絡み合っている気質が自分にどんな影響を与えているのか分かりやすい。


 もしかすると、水の中で目を開けられない(触覚が鋭い?)、水泳の泳ぎ方やダンスの見本のまねができない、狙った方向にボールが蹴れない、バスケの距離感がつかめない、集団競技が下手、電車をいつも乗り過ごす事や、方向音痴とかも発達障害に関係あるんじゃないのかな。

 特に私の病的な方向音痴は、発達障害で説明がつく。もう相性が最悪なのだ。

 ADHD=歩いてる人や店や動く物に注目するので道が覚えられなくて迷う

 ASD=道案内の説明などのふわっとした解釈違いにより勘違いを起こす

 LD=数学的空間能力がないので自分の現在地や目的地への道のりが分からなくなる

 HSP=音や歩いている人の感情、話し声、広告の文字から連想されるイメージに注意が向き、圧倒されてワーキングメモリが圧迫されて道を間違える


 あくまでも仮説だけど、この考えが正しければ自分の辛さを感じる部分をすっきり説明できるので、今まで考えてきた自己分析のなかでは一番正解に近いのではないかという気がする。

 こんなこじれた残念な人間が私の他にいるかは分からないが、どこかの誰かの参考にでもなったらいいなと思う。